これは「生命の樹(旧約聖書)」(Wiki)の説明にも当てはまる。
Chochmah/Chesed/Nezach の柱がなぜ白く、Binah/Gewurah/Hod の柱がなぜ黒いのかを説明したものを知らぬ。
さて、問題はインドにしか産しない孔雀である。孔雀がペルシア王に献上された記事はあるので、陸路でソロモーン王の手に届いた可能性はある。しかし聖書の記事ではタルシシュ船団が持ち帰ったとなっている。そこで引き合いに出されるのが、紀元前15世紀ハトシェプスト女王の船団であるが……。
なお、Ὑγίειαはピュタゴラス学派の認め印付きの指輪にも出てくることに注意を促しておきたい。
P・ホール『象徴哲学体系』II(邦訳p.205)およびカルターリ『西欧古代神話図像大鑑』(邦訳p.112(ここには、アポローンの添え名についての由来譚も含まれる))。
後に飼い猫となった種を4種類挙げたが、家畜化すべき野生種のいなかった希臘では、鼬で代用したことは先に見たとおりである。対して日本列島では、栗や団栗を食料とした時代から鼠害にはなやまされた筈なのに、困った様子がない。何故か? おそらくは猫に代わる鼠の捕食者がいたからであろう。
0「愚者」札。マルセイユ版に「描かれている小動物は猫で、古代エジプトでは猫の姿をした女神バステトなどが奉られていました」(『タロットの歴史』)。「何」が「何」に「奉られていた」のか文意不明だが、この小動物が猫だという説を知らなかった(ホドロスキーは「犬か猿」)と)ので、興味深い。
”アダム・カドモンは向こう向きである”ことと関連するのが、ヤキン/ボアズの柱の左右問題である。いったい、どちらがどちらに配置するのか、確たる根拠を述べた者に出会わない。
答えは、(向こう向きの)アダム・カドモンの右側がヤキン、左側がボアズである。
「セフィロトの木」に”ダート”を加えることは、その作用の意味を完全に理解した者でなければできない……「ダートを要請することによって「創造の三位一体」の問題は明確になろう。……”ダート”はそれによって世界が確立される「言葉」から構成されるものとして図式化できるから」(P・ホール)
『シークレット……』がウェイト=スミス版XVを「このカードの絵とデッキの絵との関連性を巧みに暗示している」としたのは、黄金の夜明け団の「節制」札の、松明を逆手に持った図とセフィロトの木における配置とからの判断と考えられるが、1909年の段階で彼らがそこまで見透していたとは考えにくい。
一方、最も観念連合が安定しなかったのが ”Coin” である。それは名称が安定しなかったことと表裏一体をなす。これにペンタクルpentacle=pentagram の名称を与え、なおかつ特別な特性(=万能章)を与えたのは(わたしの知るかぎりでは)エリファス・レヴィである。以後、GDもこの名称を使う。