→「実際、ウェスパシアヌスは紀元69年に皇帝となり、ヨセフスはその予言実現の褒賞として……ローマへと連れて行かれ……市民権と皇帝の中の住居とを与えられ……ローマ人がパレスチナでの戦争で戦利品として没収した農地からの収入にもとづく終生年金を手に入れた」→
そして1531年、アルチャーティの”エンブレム”という新しいジャンルの中にリュシッポスの詩が再び姿を表した時、Καίρος(男性名詞)は何時の間にか女性に変身していたのである(下図は1534年版)。後ろ頭が禿げていること、剃刀を持っていることは変わっていないことがわかる。
その蠍が tetramorph の”鷲”と互換性があるというのだから、混乱するのも無理はないが、このことにひとは案外無頓着である。
しかしGDには明確な理屈があった。獅子はNetzac(7)の火を表し、鷲はHod(8)の水を表し、Yesod(9)以下のエネルギーによって沸きたつ大釜=Yesod の中で和合する。
了翁禅師は寛永 7 (1630) 年、 秋田に生まれた。幼くして母と養父母を失い、12 歳の時、 曹洞宗龍泉寺に入り僧侶となった。修行の妨げになるとして自分の男根を剃刀で切り取って去勢。しかし予後が悪く激痛に苦しんだが、夢枕に現れた老僧の教えで霊薬「錦袋円」を調合、これが評判となったという。
どうやら田川はこういう話がお好きでないらしく、εὐνοῦχος には触れなかった。しかし、出エジプトは牧羊管理技術の神話化にすぎないと云った谷は果敢に切りこんでゆく。即ち、自らを生け贄とし、神と人間との仲介者になるという話は、種付け牡の中からさらに選んで誘導羊にする技法の神話化だと。
「この悲劇的なユダ王国末期に、ユダではエレミヤが預言し、捕囚民の間ではエゼキエルが活躍した」。エゼキエル? 然り、バビロンのケバル河畔で、四つの生き物の幻視を視た預言者である。この四つの生き物がX「運命の輪」とXXI「世界」札に登場する。幻視の再現は難しいがレヴィの図が近いだろう。
X「運命の輪」札にスフィンクスが鎮座している所以は既述。スフィンクスが即自的に右を向いているのはそれが生成の方向だからであろう(逆は還元の方向)。対向的に車輪の右を昇っているἙρμάνουβις は、希臘時代にヘルメースとアヌゥビスとが習合した神格で、早くも「イシスとオシリス」E61に出る。
うろ覚えだが、手塚治虫の『鳥人体系』は、たしか、一羽の鳥が1本の火のついたマッチを使って人間に復讐するところから始まったように記憶する。鳥類に地球の支配権を与えたところが、結局は人類と同じ道をたどることになってしまったので、じゃあ次はゴキブリにということに……悪夢にうなされた。