アシュ・メザレフは『大いなる神秘の鍵』補遺に収録されている。難解だが、錬金術の観点からは「ありきたりの硫黄-水銀理論」にすぎない。とはいえ、「フラメルの物語が特にその後の錬金術信仰の大きな源泉となったことだけは疑いもない事実であった」(『錬金術事典』)。
右端の生き物はἙρμάνουβις。神名辞典にも見当たらないが、アプレイウスの『黄金の驢馬』イシスの密儀の場面に登場する。そしてその図像は、カルターリ『西欧古代神話図像大鑑』に「アヌビス」の名で出ている。
男子の場合はその母親の名前の数価を合計する。
Μαρίαμ=40+1+100+10+1+40=192。この2つの数価を合計して12宮で割る。合計1080÷12=90→割り切れれば誕生宮は白羊宮。
余りが出たら、反時計まわりに余りの数の宮に当てはめる。
ピュタゴラース派では、「9」は「月のもたらす増大や知恵を表す数である(太陽の場合は「8」)」(『イメージシンボル事典』)。また「9」対「8」は、音楽理論や地球の調和とも密接な関係がある(『世界シンボル大事典』)。
→つまり瞼がなく、開き放しのその目は、光熱の源として捉えられ、蛇信仰は太陽信仰に結びつき、日本の神話の中でも蛇、およびその目は光り輝くものとして捉えられた」(吉野裕子『山の神』)。
後は「火生土」の五行相生の理によって、火の次に来るものは「土気」である,と。
「そのとき「神」は、つむじ風の中からヨブに応えた。『おまえはプレイアデスを鎖で結び、オリオンの綱を外せるか。かのマッザーロースをその時に引き出し、また熊と彼女の子らを導けるか』」(ヨブ記38章31-32)
病気にかかった者が死ぬのか、それとも生きのびるのかは、もちろん、古代人にとっても重大関心事であった。この種の予後判定具としては「デーモクリトスの球(Δημοκρίτου Σφαῖρα)」がよく知られている。魔術書(PGM II, p.81)に載っているものが図である。
メソポタミア地方やペルシャ(アラビア)湾岸などで使われた円筒形印章や円形のペルシャ湾型印章など にもインダス型印章と共通する図柄やインダス文字(未解読)を記したものがある。小磯 学「インダス文明の交易活動における印章」https://t.co/Bdg42Y8cml
「私はバビロンでベルに注意を向け,/ベルがのみ込んだものを口から出させる。/人々が流れのようにベルのもとに来ることはもうない。/バビロンの城壁は倒れる」(エレミヤ51:44)。バビロンを竜に譬え、その呑みこんだものを吐き出させるというイメージは、繰り返し現れる。
ウーマ・ダブルツの各種の図像については、William Hayes Wardの論考「ベルとドラコーン」
https://t.co/lKoE17A0x9
参照。
「唐代には皇帝たちをはじめとする多くの患者を悲惨な死に導き……そうしたいくつもの要因が道教徒の中の霊薬服用離れを惹き起こし……錬金術の精神過程は物質的過程から自立し、内丹と呼ばれる技術と理論の体系へと再構成されたのである」(山田慶兒『本草と夢と錬金術と』)。
中国の錬金術は(錬丹術と呼ばれるが)、「中国では……生理学的で内省的な訓練に劣らず、自己修養の一形式、超越へむかう一手段であった」(N・セビン『中国の錬金術と医術』)。
悟達した仙人は「日中に行くも影無く」の情態となるという(吉川忠夫「日中無影」)。