どうやら田川はこういう話がお好きでないらしく、εὐνοῦχος には触れなかった。しかし、出エジプトは牧羊管理技術の神話化にすぎないと云った谷は果敢に切りこんでゆく。即ち、自らを生け贄とし、神と人間との仲介者になるという話は、種付け牡の中からさらに選んで誘導羊にする技法の神話化だと。
「世界のホロスコープ」の例はもうひとつ、ゾロアスター教文書『ブンダヒュシュン』の中にある。伊藤義教の分析と補訂(左図)が『ペルシア文化渡来考』に。
書き直すと右図のようになり、(ゴージフル竜の頭と尾を除いて)『エヌマ・エリシュ』のそれと同一であることを知る。
日本神話で云えば、例えば豊玉毘売(トヨタマヒメ)は(その正体が何であれ)人魚の一種であるはずだが、人魚とは呼ばれない。なぜなのかはよくわからないが、日本では人魚→妖怪という想いが強いのかもしれない。しかし、その変化はそう新しいことではない。
アシュ・メザレフは『大いなる神秘の鍵』補遺に収録されている。難解だが、錬金術の観点からは「ありきたりの硫黄-水銀理論」にすぎない。とはいえ、「フラメルの物語が特にその後の錬金術信仰の大きな源泉となったことだけは疑いもない事実であった」(『錬金術事典』)。
その蠍が tetramorph の”鷲”と互換性があるというのだから、混乱するのも無理はないが、このことにひとは案外無頓着である。
しかしGDには明確な理屈があった。獅子はNetzac(7)の火を表し、鷲はHod(8)の水を表し、Yesod(9)以下のエネルギーによって沸きたつ大釜=Yesod の中で和合する。
パラケルススの思想は複雑・韜晦で、統一的な解説は難しい。わたしの理解では(間違っていたらスミマセン)天上界、月下界、その中間という3世界に分けて解するのがわかりよいように思う。彼は第5元素〔錬金術の最終目的〕を信じていた。これはいわば天上界の存在である。
この家畜の管理方法を”そのまま”人間に適用したのが、宦官制度であろう。
”宦官制度がどうして東方に発展し、西方では発展しなかったのか?” 根本的問題は残るが、このあたりの考察は谷泰の論考に全面的に依拠している。このおそるべき探求・考察がほとんど無視されていることに、驚きを禁じえない。
しかし、大河はメソポタミアやインドにしかないのではない。エジプトにはナイル川がある。が、エジプト人は、どうやら、魚に対して禁忌の感情が働いたらしい。一つには、細切れにされたオシリスの一部(ペニス)を食べたという神話があり、一つには初代の王ナルメルというのはナマズの意らしいのだ。
とはいえ、星学の配列を採用した形跡はまったくない。唯一注目してよいのは、『形成の書』第四章七の配列(土星を最初にして最後を水星にする)がミトラス教の配列とやや似ていることだ。ただし、そういう意図があったかどうかは不明。水星が配列の末端に割り当てられた例は他に1例もない。