翻案として見ると、「金色姫伝説」と「馬娘婚姻譚」との、作品としてのデキは歴然としている。これが、金色姫伝説があまり世に知られない理由であろう。
金色姫伝説に馬は出てこないが、やがて馬→馬鳴とも関係づけられる。馬鳴は男性のはずだが、養蚕の道具をもった菩薩像に。
男子の場合はその母親の名前の数価を合計する。
Μαρίαμ=40+1+100+10+1+40=192。この2つの数価を合計して12宮で割る。合計1080÷12=90→割り切れれば誕生宮は白羊宮。
余りが出たら、反時計まわりに余りの数の宮に当てはめる。
ピュタゴラース派では、「9」は「月のもたらす増大や知恵を表す数である(太陽の場合は「8」)」(『イメージシンボル事典』)。また「9」対「8」は、音楽理論や地球の調和とも密接な関係がある(『世界シンボル大事典』)。
このことは、繭を熱水に浸してほぐれやすくして、糸を引くという方法をすでに知っていたことになる。ということは逆に、この神話が弥生時代を遡るものでないことを想わせる。『野蚕録』にはじつに22の工程が挙げられているが、中心は、やはり、繭を熱水に浸すことである。
②ボイオティアのタナグラ人には牡羊を首回りに担いだ像。こうして市壁のまわりをメルクリウスが巡り歩くと悪疫が焉んだからだという(9巻22,1)。
③アルカディアからオリンポスのユピテル神殿に奉献されたメルクリウス像は、頭に兜を被り、兵士の短い鎧を纏い、腕に牡羊を抱えていた(5巻27,8)。
「そのとき「神」は、つむじ風の中からヨブに応えた。『おまえはプレイアデスを鎖で結び、オリオンの綱を外せるか。かのマッザーロースをその時に引き出し、また熊と彼女の子らを導けるか』」(ヨブ記38章31-32)
樹(の花)と石との関係をウェイト版タロット・カードに探そうとされた方がいるが、得るところはあるまいと想う。が、そこから思いついたのはオシリスとの図像との関連。石棺の上に横たわるオシリスの上に実っているのは麦である。
「The 14 Pieces of Osiris」
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X「運命の輪」札にスフィンクスが鎮座している所以は既述。スフィンクスが即自的に右を向いているのはそれが生成の方向だからであろう(逆は還元の方向)。対向的に車輪の右を昇っているἙρμάνουβις は、希臘時代にヘルメースとアヌゥビスとが習合した神格で、早くも「イシスとオシリス」E61に出る。
敢えて説明しないのは、(説明すべき事柄を本当に知らない場合もあるが)説明すると差し障りがあるからである。今の場合、図像を見れば、はは〜んと気づくであろう。1匹の仔羊も見棄てないというあのイエス・キリスト像(ルカ15:1-7,マタイ18:12-14)とそっくりである。
「あらゆる神話をみていくと、男性も子どもを産むのに一役買っているということに気づかなかったころは、男性はなんとかして自分も女性のように子どもを産みたいものと思って、自分を「女性にする」ように努めたことがわかる」──これが「去勢(Castration)」の項の書き出し。まさに発想の転換。