敢えて説明しないのは、(説明すべき事柄を本当に知らない場合もあるが)説明すると差し障りがあるからである。今の場合、図像を見れば、はは〜んと気づくであろう。1匹の仔羊も見棄てないというあのイエス・キリスト像(ルカ15:1-7,マタイ18:12-14)とそっくりである。
なお、Ὑγίειαはピュタゴラス学派の認め印付きの指輪にも出てくることに注意を促しておきたい。
P・ホール『象徴哲学体系』II(邦訳p.205)およびカルターリ『西欧古代神話図像大鑑』(邦訳p.112(ここには、アポローンの添え名についての由来譚も含まれる))。
後に飼い猫となった種を4種類挙げたが、家畜化すべき野生種のいなかった希臘では、鼬で代用したことは先に見たとおりである。対して日本列島では、栗や団栗を食料とした時代から鼠害にはなやまされた筈なのに、困った様子がない。何故か? おそらくは猫に代わる鼠の捕食者がいたからであろう。
一方、最も観念連合が安定しなかったのが ”Coin” である。それは名称が安定しなかったことと表裏一体をなす。これにペンタクルpentacle=pentagram の名称を与え、なおかつ特別な特性(=万能章)を与えたのは(わたしの知るかぎりでは)エリファス・レヴィである。以後、GDもこの名称を使う。
さて、問題はインドにしか産しない孔雀である。孔雀がペルシア王に献上された記事はあるので、陸路でソロモーン王の手に届いた可能性はある。しかし聖書の記事ではタルシシュ船団が持ち帰ったとなっている。そこで引き合いに出されるのが、紀元前15世紀ハトシェプスト女王の船団であるが……。
メソポタミア地方やペルシャ(アラビア)湾岸などで使われた円筒形印章や円形のペルシャ湾型印章など にもインダス型印章と共通する図柄やインダス文字(未解読)を記したものがある。小磯 学「インダス文明の交易活動における印章」https://t.co/Bdg42Y8cml
それから約1世紀後、今度はセレウコスの大使としてチャンドラグプタ王の宮廷に派遣されたメガステネースが「カルタゾーノス」につて報告した(断片13b)
https://t.co/yJrfxhlAZf
「敏捷で、その脚には生まれつき関節がなくゾウに似通っており、尾はブタのそれである」。
しかし、「太陽」札の囲い壁をアムピーオーンの竪琴に結びつける解釈(ヴィルト)には与しない。テテーバイの城壁をめぐる血腥い歴史を知っている者には、そこに形而上的展開・解釈が期待できないからだ。むしろ
第2話「奇跡を呼んだ少年」は、脳腫瘍で現代医学から見放された少年が、最後の手段として医者からイメージ療法を勧められる。第1話と関連させると、どうやら作者(あるいはゴルゴ)は、呪文や呪歌は信用しないが、イメージ療法には活路を見出しているらしいのが興味深い。
『シークレット……』がウェイト=スミス版XVを「このカードの絵とデッキの絵との関連性を巧みに暗示している」としたのは、黄金の夜明け団の「節制」札の、松明を逆手に持った図とセフィロトの木における配置とからの判断と考えられるが、1909年の段階で彼らがそこまで見透していたとは考えにくい。