娘に「早くシャワー浴びて」と注意しに行ったら一心不乱に字の練習をしていて、「父さ」って文字がチラッと見えたから「ひょっとして父の日の準備?」と思って邪魔しちゃいかんなと思ってスッと退散したのだが、その後改めて娘がいた机を見てみたら単なる硬筆のお題だったのが今日のハイライト。
私の小説を読めばなんとなくわかると思いますが、私は波風を立てず皆が平穏無事に過ごすことを何よりも重んじる人間であると同時に、それだけでは必ずどこかで閉塞する、「ふざけんな」とわがままで全部ぶっ壊す人も必要だ、という矛盾する考えも同居して秘技マサル会議を開いてる人間なのです。
「自分でやらせなきゃ何でも親に頼る子供に育つ」「できないことはできないと分からせるのも教育」という考えも分かるのですが、これ子連れだと半日仕事で親もぐったりなのが私一人で回ればほんの一時間程度で済むので、その時間と体力を他のことに回そうぜというのが今回の私の結論なわけで。
隆慶一郎「一夢庵風流記」は「花の慶次」で漫画化するにあたり、少年誌向けにかなり純情にキャラ変してた。小説版は既婚子持ちで奥さんとの仲が冷え切ってるのも驚いたし、秀吉との対面後、謝りに来たおまつ様を漫画版は夜桜見て許したけど、小説だといきなり手籠めにしてて「ええええ!?」ってなった。
ある人からメールで、「資料.pdf」という名前の資料が送られてきて、「すごいよ!マサルさん」で、マサルの家で「レバー」を見た時のマチャ彦とフーミンみたいな顔になったのが今日のハイライト。
「こんな提案、絶対に総スカン喰らいますって」「いや、それでもまずは、あるべき姿を示してそれを提案せねば」という上司との押し問答の末に会議にかけた提案が総スカンを食らって結局私が代案作ることになり「そんな余計な一手間かけずに、みんなで幸せになろうよ…」と思ったのが昨日のハイライト。
私の座右のマンガである村田雄介「ヘタッピマンガ研究所R」に、冨樫義博先生のストーリー作りの手法としてこんな話が載ってて、5月発売予定の「実は、拙者は。」はまさにこの作業を何度も繰り返してプロットを書いたんですが、「ダンジョン飯」も同じ作業やったんだろうなぁと思いました。なんとなく。
今年もやってまいりました、大晦日恒例、今年の自分漢字と10大ニュースです。
今年の自分漢字は「重」。
小説一作目と二作目のダブル重版あり、連続で二回入院あり、家の設備の相次ぐ故障あり、色々なものが重なった一年でした。
新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事(よごと)by大伴家持
>前RT
つい最近読んでた小説版の「清須会議」でも、会議に負けた織田信雄が障子にぷすぷすやってるので、三谷幸喜は好きなんだろうな障子ぷすぷす。確かにコミカルで分かりやすくて使い勝手がいい。
お気楽で何も考えてないけど天下獲っちゃった人を描いた某小説に足りないのは、こういう描写なんだよ。
なんで人々がこぞって彼に味方したのか、作者がそれに自分の考えを立てて示してやらなきゃ、読者も納得できないだろ。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」はそれをちゃんとやってたよ。