と詠ったボードレール(『パリの憂鬱』)は、終生ほぼパリから離れる事は無かったわけで、漂泊の思いを度々口にし寂れた温泉地を足繁く旅して回ったつげ義春も調布に住み続けている事を考えると、『此処では無い何処か』というのは山のあなたの空遠く、何処にもなく直ぐ其処にある、というものなのか。
田中律子なんかも90年代アメカジの象徴だったよね。
いまだジーンズにスウェットパーカーとかが好きだな。女子のファッションも。
春画の画集って、今は無修正だけど、昔はしっかり猥褻扱いで性器の部分は色んな方法で隠してあったよ。古本屋で投げ売りされたのをまとめた買った事があるけど、着物の写真が画面の半分くらい覆ってたり、接合部を白マドにしてキャプション入れてたり。
流石にスミベタは嫌だったんでしょうね。