「体中のすべての細胞が生きることに必死なのに、「生きたくない」と言い出すような脳細胞は、他の細胞にしてみれば、迷惑以外の何ものでもないだろう。死にゆく運命にある爪の細胞でさえも、命がなくなる瞬間までは精いっぱい生きている。それが生命なのだ。」(『植物に死はあるのか』SB新書、P144)
「若い人たちが関心を持っていることに素直に興味を抱けば、喜んでいろいろ教えてくれるでしょう。すると世界が広がるし、感性も若返ります。好奇心は、精神を若々しく柔軟に保つための特効薬のようなもの。」(石井ふく子『歳はトルもの、さっぱりと』中央公論新社、P83)
2025年の大河ドラマの主人公が蔦屋重三郎であることもあり、書店に関連書籍が大量発生中。新書の新刊だけでも5冊以上は出ている(PHP、星海社、宝島社、文春など)。私は平凡社新書の蔦屋本を読んだ。著者の鈴木俊幸氏の論稿は、他書で参照されることも多いため、手堅く安定した内容となっている。
イラストレーターの山藤章二さんが死去。ご冥福をお祈りします。
「「文弱の徒」という言葉がある。学問や文芸に耽って体の弱々しい人のことを言う。が、この形容は正しくない。長時間にわたって文字を読むのは、明らかに体力勝負だからだ。」(『まあ、そこへお坐り』岩波書店、P52)
9月24日は、漫画家さいとう・たかをの命日。
「……時代を逆行させる事は、誰にも出来ない……思い出は懐かしむだけにしておく事だ……」(『ゴルゴ13』第143巻、小学館、P125)
「これでまたひとつ自分が成長できた…と
そう思えるのがとてもうれしいんじゃ
そういう気持ちをなくさないかぎり
人は勉強を続けるんじゃよ」
(さくら友蔵・述、『ちびまる子ちゃんのラクラク勉強法』集英社、P149)
#敬老の日
「国語辞典の作り手は、なるべく多数派の人が感じるニュアンスを、ことばの説明に書き添えようと努力しています。それでも、辞書によって判断が分かれる部分はどうしても出てきます。ある一冊の辞書で説明されているニュアンスがすべてだとは言えないのです」(飯間浩明『つまずきやすい日本語』P28)
「盛者必衰の理は森林でも貫かれる。主役となった常緑樹もいつかは枯れる。常緑樹が倒れた跡の林床は一年じゅう明るくなり、今度は落葉樹がそこで旺盛な成長を示す。こうして落葉樹⇨常緑樹⇨落葉樹という森のサイクルが完成する。」(舘野正樹『植物学者の散歩道』閑人堂、P66)
「われわれがあまりに破廉恥でありたくなければ、過去について全体的な記憶を持つことにつとめなければならない。過去について全体的なバランスのとれた記憶力をもち、自分の気に入らない記憶を抹殺したい誘惑に勝たねばならない。」(大江健三郎『想像力と状況』岩波書店、P15)