『アドルフに告ぐ』で描かれた
「ジェノサイドの被害者が、次はナチュラルにジェノサイドの加害者になってしまう」
という文脈はいろんな意味で鋭かったわけだが、その点と、そしてそこから生まれる葛藤をちゃんと深く掘り下げた批評があまり見当たらないのも印象的だ。
創作の会話文では「説明的で長い文章は避けるべき」とよく言われますが、ジョジョとか見てると「言霊的にイケてればそんなセオリー無視で全然OK!」ということが実感的にわかって痛快です。やはり荒木飛呂彦先生は凄いのだ。
しかし『アドルフに告ぐ』、ナチス親衛隊将校だった人物に、人生の果てにこのように語らせるあたりが、まさに手塚治虫の真骨頂といえるかもしれません。
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「マライさん、昭和カルチャーの凄さといえば、たとえばどのへんに感じますか?」
「まあ、リングにかけろのドイツJr.チームとか」
ときに、戦争をテーマにした漫画といえば松本零士も巨匠作家でした。
敵味方や大義名分を超越した巨大な怨念と執念で戦い、生き抜く狙撃兵を描いた『パイロットハンター』など、いわゆる善悪ベースの戦争解釈の文脈だけでは解析不可能な「沁みる」傑作が多く、改めてその才能の凄みが偲ばれます。
「魔女狩り・吊るし上げ」を煽り、追従する輩というのは大体どんな物語でもクソ野郎として描写され、それが認識共有されている割に、現実でそーゆー連中が増殖しまくっているのは何故だろう? とよく思う。
ぶっちゃけ皆「自分は違う」と思い込んでいるからで、内省を促すことの難しさを痛感する。
今日12月8日は、パールハーバー攻撃で有名な太平洋戦争開戦の日ですが、1963年に赤坂のナイトクラブで力道山が刺された日(12月15日に死亡)、そしてジョン・レノンが射殺された日でもあったりします。
ああ昭和。
『風立ちぬ』を観ながら、宮崎駿が非マニア層を観客の主軸に据えはじめたのはいつからだろう、と考えてしまう。
戦争と兵器と人の関係性を描く宮崎作品といえば、明らかに戦車マニア向けな『泥まみれの虎』という作品が、なんとも深く刺さるモノがあった。いろいろと感慨深い。
#風立ちぬ
ジョジョといいキン肉マンといい、最初は敵として登場するナチキャラが途中で「圧倒的な味方」に転じてしまう、
「週刊少年ジャンプ第三帝国の法則」
なるものがあったと聞く。当時、集英社に何があったのだろう?