僕は教科書(主に英語・保健体育)の挿絵キャラに萌えるタチなんですが、90年代のあおきてつお作画時代の英語教科書『ニュークラウン』(三省堂)には特別なものがある。昔の教科書ってヤフオクに出ないから今では滅多に手に入らないし、図書館所蔵の教科書は禁帯出だし、持ってる人は大事にしてね。
谷岡ヤスジのデビュー作は高校時代に『中国小学生新聞』で連載した『やっちゃん』(1959年)
まるで長谷川町子作品のような牧歌的かつ優しい世界観が印象的。その後ヒューマニズム路線に飽きた長谷川が『いじわるばあさん』でシニカルな路線を確立するのと同時期に谷岡もまたナンセンス色を極めていく
クセの少ないシンプルな絵柄で描かれるエロ=モブ顔エロですが、ルーツは手塚治虫の「マンガ的な絵柄」を踏まえて直接的な性描写を展開した吾妻ひでお先生だと思います。手塚・石森のシンプルな描線にエロスを見いだした吾妻先生が「エロ劇画」「やおい」に対抗して同人誌『シベール』を1979年に出す。
なお、吾妻先生は79年に『プリンセス』で少女マンガ『翔べ翔べドンキー』を連載開始した翌月には『シベール』を出版。11年のインタビューでは「『シベール』の直前頃に少女マンガの模写をして、エロの落書きを描いていた」と回答しています。少女マンガがロリコンマンガに与えた影響も無視できません。
また吾妻ひでお先生に初めてロリコン漫画を依頼した編集者が『Peke』『少女アリス』編集長の川本耕次さん(ロリコンブームの仕掛人)だったことは非常に象徴的だったと言えます。さらにこの過程で『ななこSOS』の原型となる『すーぱーがーる』や『陽射し』収録作「純文学シリーズ」などが生まれます。
この頃、秋田書店から「メジャー誌(チャンピオン)に描いているマンガ家が自販機本に描くのはやめてくれ」という警告もあったそうですが、吾妻先生は無視したそうです。その後、秋田の元担当が「吾妻くんは時代の寵児だね」と言って原稿依頼に来て追い返したとか(笑)
日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(1979年)創刊にまつわる吾妻ひでお氏のエッセイ漫画(蛭児神建『出家日記―ある「おたく」の生涯』に寄稿された巻末漫画より)
『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号特集「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」から「ロリコン座談会/吾妻ひでお×内山亜紀×谷口敬×早坂未紀×川本耕次×蛭児神建―ロリコンの道は深くて険しいのだ」
RT タコ焼きの自殺ネタはサンコミ版『やけくそ黙示録』収録の『とつぜんDr.』ですね。あれ凄い面白かった。吾妻氏のギャグセンスと可愛さが全部詰め込まれてる(これ現在流通している本にも載ってるのかなあ)。全集出て欲しい!
吾妻ひでお先生には『ふたりと5人』のリメイク版を描いて欲しかった…(誰か二次創作で続きをよろしく…)
例外的に、後ろ髪カール娘(別名:委員長)は原作の『半分の半分のまた半分…』(TC42)にも3コマ登場する(原作の登場回は多分この回のみ)。月形まる代とは完全な別人で前髪がパッツンかカールかで見分けがつく。渾名の委員長はアニメ『ためしにさようなら』から。もちろん原作では別のモブである。