さて、#ナウシカ 考察、「王蟲の心を覗く」タブー編です。文字通り腐海の虫の王たる王蟲の心を覗くとはどういことか、それが何故タブーになるのかを掘り下げて行きたいと思います。
まず王蟲についてですが、体調10mを越す巨体に14の目があり、高い知性と同時に激しい攻撃衝動を持つーある意味ナウシカに似たー蟲ですが、 特に精神面では「個にして全、全にして個」という、いわば集合精神体としての性質を種族全体で共有しているのが特筆されます。
この性質により、例えば培養された幼生王蟲を用いた囮作戦には群全体が反応しますし、また土鬼大海嘯では、兵器たる粘菌をすら仲間と見なし、その心を救うために土鬼の地に集団で向かいます。
そしてナウシカの例を見る限り、王蟲が高い共感を示す対象は蟲だけではなく、人間にも向けられます。酸の湖ではナウシカの怪我を治癒し、大海嘯にあっては身を挺して彼女を粘菌から守るーマニ僧正ならずともそのいたわりと友愛には胸締めつけられるものがあります。
王蟲の大群が胞子を撒き散らしながら人界たる都市・村落に驀進する…土鬼の場合を見るまでもなく、そうなれば王蟲の目が攻撃色であろうとなかろうと、人間社会側は壊滅的な被害を受けるであろうことは想像に難くありません。
よしんば危機を間一髪回避できたとしても、社会に危機を呼び込んだ元凶たる人物を、周囲はすんなり受け入れられるでしょうか。周囲から見ればその人物は正に「蟲に憑かれた」存在です。これはある意味、烙印ですが、同時に「取り憑いた蟲のせいだ」という免罪符にもなります(幼いナウシカのように)。
なおこの幼いナウシカの回想で興味深いのは、父ジルたち「大人」の中にユパとおぼしき人物の後ろ姿が見えることです。あのユパですら、ナウシカが王蟲を匿い飼うことー蟲と人が共に生きることーを危険視していたことを示すようで意味深ですね。
そして蟲と心を通わせた者は、「蟲の世界」と「人の世界」に股裂きとなります。とりわけその者の言動が「人の世界」に危機を招いた場合には、周囲の目や罪悪感からそれこそ「帰ってこれなくなる」かもしれません。
無理に一つになるでなく、さりはとて共存を諦めるでなく、この世界の片隅でそれぞれ生きていく。それは大変困難な「ナウシカにはなれずとも行ける筈の同じ道」、或いはクシャナが目指す「王道」に近いものなのかもしれませんね。
そして妖怪…もとい小笠原サンは遂に目からビームを放つようになりました(笑)。今は御簾越しに発光するだけの後醍醐帝もそのうちビーム攻撃とか始めるのでしょうか…?
#逃げ上手の若君
なお、本日の考察では、最後に一つお知らせがありますのでお楽しみに。そう、「時は満ちた」のです(笑)。
が、強硬一辺倒というわけではなく、ジルにとり実力行使は選択肢の一つに過ぎません。この事は先の発言の直後に「皆殺しにする力がないなら秘石などくれてやればよい」と続けている点に見られます。