その後兄に謀殺され、霊体となったミラルパは、皮肉なことに宿敵にして自身の若き姿たるナウシカの導きで宿業を洗い落とし、成仏していくこととなります。
今日の御仕事場。1ヶ月近く前から社長報告にエントリーしていたにも関わらず「今忙しいから後」と秘書室からお預け食らった挙げ句、今日になって「なんでもっと早く持ってこなかったこのグズ」とかド突かれる。
…大概にせいやホンマ。
実はここに「僧会を通じた歪み」が入り込みます。即ち、サパタでミラルパが語るところでは、彼にとって「青き衣の者」とは、僧会が土鬼の民から邪教(神聖皇帝が滅ぼした先代クルバルカ王朝が奉じた信仰)を十分払拭できていないがゆえに生じる「危険な芽」でした。
そのサパタではまた、兄の挑発で窮地に陥ったクシャナを救うため、重傷の身でありながら、クシャナを裏切る演技までして「時間稼ぎ」を果たします。これは確かに、優秀だが融通の利かない貴族出士官には出来ない腹芸と言えます。
これに比べればエフタル諸族は、「青い衣の者」信仰こそ希薄(ほぼ皆無)ですが、「風の神」をはじめ万物自然を崇敬する様子は随所に描かれており、この点でも土鬼・トルメキアと対照的です。神に加護は願えども「救済」までは最早信じるべくもなく…といったところでしょうか。
即ち、彼等は腐海と蟲を「愚かな人間が汚した世界を浄化するために生まれた神聖な存在」として信仰しており(それ自体が厳しく云えばトルメキアの神官達が唱える天罰論(?)の裏返しにしかならないのですが)、そのことが腐海の「真相」から目を背けさせていたわけです。
特にもののけ姫ラスト「アシタカは好きだが人間は嫌いだ」「それでもいい。森とタタラ場で互いに共に生きよう」という下りは、本当に漫画版ラストそのままといえます。
蛇足すれば、これは「庭園」の牧人がラスボスたりえない理由ともなります。確かに彼(?)は過去に仕組まれた計画のサポートがその存在意義ですが、同時に計画の過程たる現在に生じる「悲しみ」を癒そうとする点で現在にコミットし、精神的に成長しうる存在と言えるからです。
なお、「突き詰めた平凡は才能」という点では藤子F御大の「並平家の一日」もオススメです。古きよき(?)一億総中流を体現する並平一家のモニタリングを通じ、生のマーケティングを実践しようという、正にSF(すこし、ふしぎ)な物語です。
最初、ミラルパはナウシカの心が呑まれた「深淵」にやって来ます。それは、ナウシカを苛む「虚無」が何度も現れた暗黒の場所であり、また「生きた闇」と形容されるミラルパにはある意味親和性のある土地(?)でした。或いは、ミラルパはナウシカの内なる「闇」に惹かれたのかもしれません。