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【江戸時代の蕎麦】 一般的に16文で変動がなかったようにされているが、結構推移していた。 享保のなかば(1728頃)に「二八そば」が現われ、当時の大坂の砂場・いづみやの看板に「そば切・八文」とあるので、当時は蕎麦(もり・かけ)が八文前後だったと思われます。 その後は、十二文~十四文へ。
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