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住宅地図で調査。昭和37年版ではまだ藤倉電線の運動場、昭和40年版では倉庫が建ち始めている。戦中~終戦直後の一時期は荒廃するも、その後再びグラウンドとしての役割を与えられていたのだ。ちょうどその頃、スポーツライターの越智正典氏がこの地を訪れ、“洲崎球場跡”と書かれた杭を目撃している。
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