1つ前の作品を読む

5つ前の作品を読む

最初から読む

217 / 278 作品目
大正11年11月の『都新聞』には甘栗の広告や記事が目立ったので拾っておく。広告の「来々軒」や「日清軒」は当時すでに東京や横浜で多店舗展開していたようだ。「東京で一番甘い」や「元祖甘栗輸入元」にはよそとの差別化が念頭にあったのだろうから、東京ではそれなりに甘栗業者が競っていたのだろう。
1
2
3
ツイートにリアクションをしよう!