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ところで、観応の擾乱における足利直義第一の腹心であった上杉重能の実父は、勧修寺宮津入道という(『上杉系図大概』)。 久保田順一氏はこれを宮道氏ではないかと推測し、上杉氏がこの時期にも勧修寺と関わりを維持していたことがわかると述べる。 宮津と宮道、たしかに音は近いけれど…うーん🙃 https://t.co/BCdWl4TAMD
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