次の道真マンガは大宰府編。一般にほとんど知られない大宰府での道真サンを、どこよりもユル〜く描いてみます。お楽しみに〜
「菅原道真は学問の神」って道真個人が神レベルに勉強できたってだけで一般人に関係ないやんという一見鋭い指摘はまったくの浅はかで道真は塾長として当時の難関国家試験で他塾を圧倒するダントツの合格数を叩き出しておりその指導力と実績からやはり学問の神ひいては受験の神と呼ぶにふさわしい
「菅原道真は学問の神」ってそもそもヒトを神として祀ることが変だし後世が作り上げた虚像にすぎないという一見鋭い指摘はわからなくもないが古来日本においてヒトが神として祀られる条件①歴史的偉業を残したor②怨霊 の両方を道真はコンプリートしておりその点でも神に祀られるにふさわしいと思う
「菅原道真なんて歴史的には遣唐使廃止と右大臣ぐらいしか実績ないやろ」という浅学妄想知ったかぶりのご指摘は完全に芯を外しており道真の仕事をみると民部省(現在の財務省)トップとして古代から中世へ国家システムの転換を促す大改革をお膳立てした形跡があり政治家としても神と呼ぶにふさわしいのさ
「怨霊である菅原道真を途中で学問の神に変えるとはご都合主義にもほどがある」というパンチのきいた批判を右から左に受け流しつつそもそも怨霊を神として祀るのは鎮魂のためであり鎮魂の結果 昇華して神になったのであるならそれが学問の神であっても別にええやんかという反論を思いついたが黙っとく
「受験の神ゆうても入試当日 答案用紙に記号[ア]と誤答するところを背後から二人羽織みたいに腕を操作して正答[ウ]に直してくれるわけやないやろ」という至極まっとうな指摘は木を見て森を見ておらず道真サンを信じて一心に祈れば当日 道真サンが得意の二人羽織で正答に導いてくれるに違いないのデスヨ
神社で祀られたヒトは「神になる」のではなく「神になったことにされている」だけで菅原道真も神様という体(てい)で今の今まで来てるけどホントに神様なってんの?という現代人がうすうす感じている疑念に一考の余地があることは認めるものの今さらそんなんいろいろ困るしもう道真サン神様でいいやん