自分は悪くない被害者だと叫ぶフェミ様(とそれに対する周りの反応)から感じる既視感、完全にこれ
「インタビュー記事の中でパイスラの奴がお気に入りと言ってたからこれらの写真は胸を強調した物だ」
みたいな批判を私的なレベルですり合わせろなんて言われたら私は蛇蝎のごとく嫌がるし蔑んだりするけど、それをして
「お前の言う表現の自由は突き詰めれば権力による規制と同じだ」
とか言われたら
ですが「ソレ」は、フェミニストが叫ぶ「被害の助長」ですらない「直接的な加害行為」ですので、私はその(表現の自由を行使した)責任を炭治郎ばりに叫びますよ。
表現の自由は表現が無条件に肯定される権利ではないのだから。
「高純度の悪を支持するような奴等に善が受け入れられる筈が無い」
ここまで純度の高いスパークは中々お目にかかれませんよ。
自分達を絶対的な正義と、自分達が憎む敵を支持する奴を絶対的な悪と定義する、「善の存在で在ると信じる事しか拠り所の無い」人達の放つなけなしの光りを見ていると、
「公共に性的な女性の表象がある→女性の性役割を固定する」って主張に具体的な機序やエビデンスはあるんですか?
まあ「楽しみ方は知らないけど楽しみたい」みたいな要請に憤るのも解らないではないのです。こち亀の「漫画が読めない部長」の話が象徴的というか、漫画でも読み解くための知識や教養が求められますし、絵画は宗教、神話、文化的時代背景を知っているほど読み解ける範囲、楽しめる度合いは大きくなる。
重ねて醜いのは
「国やらなんやら攻撃してきて異常!」
とか言い出す被害者意識ね。これそのまんまでしょ。