橘ありす編は「橘さんらしい」キメキメの写真で挑んだら、子供らしい『自然な笑顔』を求められて失敗するものの、Pの後押しでさらに「橘さんらしい」写真で勝利を狙う筋書きになっている。この最初の「らしい」姿を橘は綿密な「予習」で作り上げて、「イメージ」通りに「完璧に」こなそうとしている。 
   この時橘が何を予習していたのかはわからないけど、多分誰か大人のモデルの写真とか、Coアイドルの写真とかを見て、その「イメージ」でやろうとしたのだろう。さらに推測の度合いを高めると、橘は「櫻井さんのように格好よく」とでも思っていたかもしれない。 
   橘の櫻井さんへの視線には、同い年への単純なライバル意識・対抗心だけじゃなくて、櫻井桃華を自分が目指すべき一つの目標とする意識が含まれている。だからこそ櫻井さんを見つめてからの「おとぎ話のようにうまくいく保証は」の独白。橘目線では櫻井さんはすでに「お姫さま」になっている。 
   櫻井桃華が「レディ」をたびたび口にするのも、自分が単に「ある」だけでレディでいられるわけではなくて、「レディ」とは常に目指すべき目標であると理解しているから。 
   目標としての「自分らしさ」と「アイドル」がつながるのがU149の物語(多分それがシンデレラガールズの設定から自然に生まれる物語でもある)で、そういう意味で古賀小春編は橘ありす編や櫻井桃華編のストーリーとパラレルなもので、「らしさ」とは何かという点が新たに深められる話になる(はず)。 
   U149が「見る」という行為を強調するとき、大抵その視線の先には自分のなりたい「目標」が存在している。それを踏まえると、「小春のことちゃーんと見ててほしいです〜」という台詞は、まさしく今「それ」に「 なる」という重大な宣言であることがわかるわけですね……