#自分の作った中で1番のクソコラを何でもいいから載せろ
超ニッチでめんどくさい話させてた💦
風呂入ってる時に降りて来たので便乗してみんとてす。(n番煎じ) https://t.co/ALKVtd5YUc
ホントにこういうやり取りがあったかは知らん。
ただ亘理元宗は1552年に晴宗の名代として上洛し武田信虎が折衝役になったとされています。
1559年までに奥州探題職は正式に伊達氏の物になっており、水面下交渉は当然あったと思われます。
各地の大名が新たな家格獲得レースを同時期は展開中でした。
足利持氏「無念…」
↓
義教「やったぜ。」
↓
春王・安王「どうしよう…」
簗田景助「諦めんなよ!俺が与同する武士を募るけぇ、まだ諦めるのは早い!」
結城氏朝「せやせや!京の公方がナンボのもんじゃい!お二方是非我が結城城に!」
上杉派閥に既得権取られる危惧があったとはいえスゴイ…
なんか流れて来たけど、これがマジなら僧兵や悪党が持ってる金棒はかなり効果的なのでは😅
とりあえずコカしてタコ殴りするくらいしかないで…
そういう前提があるから「一番槍」や「兜首」に高い価値が設定されていたのかも。
まあタコ殴りをする為には数がいるから足軽誕生になるのかな…
応仁の乱→観応の擾乱→承久の乱→中先代の乱の来てるので次来るのを予言する。
ズバリ、明徳の乱じゃないかなぁ…
日本史界隈では享徳の乱は既出だし、永享の乱は正直享徳への序章感で終わる…
そんなことより結城合戦ですよ奥さん。
結城氏朝/簗田景助コンビを讃えよ^_^
官途名って武家が普通に取れる範囲だと
「左京大夫>修理大夫>大膳大夫」なイメージなんですよね…
右京大夫とか治部大補みたいに家によってほぼ固定されてるやつはまあ除くとしてよ。
ただ実力とはマジで噛み合ってないのでここらの運用方法は謎。(戦国期はもうただの看板なの?)
#軽い気持ちで作ったら思った以上に反響があったヤツ
あの頃は毎月ネタが投下されてた😁