人(単位)を殺して自分(煩悩)が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。
『太宰治:走れメロス』より
疑うのが、正当の心がまえなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私欲の塊さ。信じては、ならぬ。
『太宰治:走れメロス』より
そりゃ私だって、カメラ向けられてポーズ取れるくらいの自信のある美少女に生まれたかったさ。
「全力デブは擁護するけど、中途半端デブは力いっぱい叩く」っていう謎の文化があるよね。
ちなみに私は200回殴った程度のブスっていう自覚はある。
10年後に逮捕された犯人は「『お靴』のイントネーションのつもりだった」「心のなかでは常に丁寧語の気持ちだった」などと供述しており、
前に描いた田園詩(でんえんし)とかもそうだけど、こういう服屋の名前って読むの難しいよね。
まるで王蟲を静めるナウシカのようだ。
私が自らを「ブス」と連呼するのは、「そんなことないよ」「かわいいよ」という答えを期待しているからではない。その欠点さえ包み込んで愛してほしいのだ。