1つ前の作品を読む

5つ前の作品を読む

最初から読む

950 / 1909 作品目
道理が通らなければ天皇にも意見する気骨ある武人でした 1336年、京から比叡山に追われた後醍醐帝は頼りにしていた義貞に無断で尊氏と和睦しようとしましたが、それに対して貞満は「下山するなら主君義貞や我々の首をはねてからにしろ」と新田家に対する不忠に抗議したという #逃げ若 #逃げ上手の若君
1
2
ツイートにリアクションをしよう!