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1268 / 1906 作品目
『太平記』では「あととり」とされていますが、母親があまり身分が高くなく、邦時が生まれた際に高時の母である覚海尼も顔を見せなかったことを考えると歓迎されてない庶子でそれはないんじゃないかとも言われている 一方で当時の書状ではハッキリ「嫡子」の記述もある #逃げ若 #逃げ上手の若君
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