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ただ、この企みは参加者の一人の密告で失敗に終わる(正中の変) 後醍醐帝は関わりを否定、幕府側も事を荒立てないため首謀者を後醍醐とは断定せず処分も行わなかった しかし1回の失敗で諦めないのがこの天皇。甥の邦良親王が急死して中継ぎの役割が消えた段階で再度宣戦布告 #逃げ若 #逃げ上手の若君
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