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1810 / 1890 作品目
基氏が京都で生まれた頃には、実兄義詮は鎌倉に赴任しており、義詮が上京する際に入れ替わりで基氏が鎌倉入りを果たしため、兄とはあまり面識がなかったとされます そのため『難太平記』では京都の兄との関係調整に苦労して心労となったのが死因と考察されています #逃げ若 #逃げ上手の若君
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