#鎌倉殿の13人
隠岐に流された後鳥羽上皇
定家の歌のライバルと称された藤原家隆は、後鳥羽上皇が流されたのちの私信のやりとりを続け、和歌でのやりとりも前と変わらずに続けていたと記録が残っています
#鎌倉殿の13人
藤原定家の『百人一首』の最後の2首は、承久の乱で流された2人の、かつての栄えていた朝廷を懐かしむ和歌を最後に採択しており、島流しにあった元主君を想いを伝えています
#鎌倉殿の13人
隠岐に流された後鳥羽上皇
隠岐本新古今和歌集を編纂し歌会なども開くなど、和歌の熱意は劣りませんでした
『百人一首』では後鳥羽上皇の和歌が採択されています
それは平安時代の貴族が栄えた時代を懐かしむ意味の内容であり…
乱で流されたことにも通ずるようであり…
今年は鎌倉殿イヤーということもあり、楠木誠一郎さんのコラム「#うわさの日本史クラブ」は北条家周辺も多く登場し、学びながら描くことができて楽しかったなあ。(イラストはだいぶドラマに影響を受けてますね…。)毎日小学生新聞では今週金曜日が年内さいごの掲載になります。#鎌倉殿の13人