「武田勝頼の嫡子・武田太郎(信勝)十六歳、容貌は世に優れて美麗で、雪のような肌の、花のような若者だった。」小瀬甫庵先生はキャラの立て方をよく知っておられる。(甫庵信長記)
大正7年(1918)発行の徳富蘇峰『近世日本国民史1』より。日本人の宗教心に関しては既にこの時代から希薄だと言われ続けていた模様
氏戸佳香 @ujito2020 様より御著書『今川名越家 誕生と滅亡』を御恵送頂きました。心より御礼申し上げます。名越今川家といえば、織田弾正忠家は信秀期に家臣団に名越家の人々を多く取り込んだことでも知られ、彼らが後の信長の覇業を大いに支えました。名越家の貴重な研究書、心して読ませて頂きます
将軍徳川家光が林道春に命じて編纂させた『将軍家譜』、足利義尚の稿は3分の1くらい「北条早雲」について書かれており、江戸初期でも、「北条早雲」の出現というのは非常に大きな出来事と認識されていたのが解ります