もっというと、自分たちがより機械的な社会で生きてるのにも関わらず『自我を持っている』と必死に自己正当化するヒトに対し、生まれながら『ヒトたれ』と理想形を提示されてる機械のほうがより豊かな葛藤をしていると、設定段階で決めていました。
アルマは、描いたあとのインタビューとかでも『ヒト対機械の構図』を前提としてよく訊かれたけれど、むしろその逆の思考で描きました。
ヒトは本来はなんだかんだ言って、社会を分母としたイチ細胞みたいな自我しか持ち合わせていないので、正直この漫画では両者をほぼ同一として描いてる。つもり。