今日のらくがき。岬めぐり・オホーツク編をぼんやり考えていて気付いた。三峯さんが松前藩に関わりだすころにはもう五郎次さんは居なくて、松前や江戸を何度も行き来できるタフな八九郎さんとは面識があるだろなという。
アイヌの矢筒に関しては樹皮で編んだものや木製のものも存在するんですが、実際に狩りへ使われた割合はちとわからんですね。自分としては祭事・儀礼用と仕事・普段使い用は別かなーとは思っていたんですが、どうなんでしょ。
早坂文嶺は早坂元長の父。山形県旅籠町出身。「二司馬(ニシパ)」の号でアイヌ画を描いたことで知られる絵師ですだ。
三峯サンのブローチも安政編か岬めぐり編かで柄を変えてあるんすよ。岬めぐり編のは適山の着物から作った形見ということで。