あくまで私の場合ですが、不幸を共感して傷を舐め合う目的の場に呼ばれると、その中の誰かが幸せになる事や解決案を出しても疎まれる事が多く、ただ愚痴と相槌だけの時間を楽しいとは思えなかった。むしろ幸せが遠退いていく感じがしました…。
上手く言えないけど…、生きてる内は「そんな事」が楽しいならその時間をもっと大事にしていいのだと思いました。多分、生きてる間しか出来ないから。
これですべてを許せるとかはないけど、名前を呼ぶのも嫌だなぁ…考えるのも嫌だけど対処しなきゃ…って時、一時的に大好きな対象に近いあだ名をつけてしまうと、これ、好きな相手だったらどこまで許せたかな?って冷静になれます。
人生何が幸いするか分からない。その時ダメだと思ったり辛い事があっても、それが後で幸いする事も沢山あるから、辛い時はこの話を思い出します。自分の人生もそんな事の繰り返しで歩んで来たし、多分これからもそうなのだと思う。
某芸人さんの炎上、絵描きである事は置いておいて、昔、生活の為のバイトをボンボンに「バイトとかださいっしょ?」って言われた時の苦い記憶を思い出してモヤモヤしてました(苦笑)
バレンタインチョコネタ考えてみました。「2/14の星空チョコ」
※星空の再現度は職人の技術と根気に寄ります。
誕生日は私にとって母の日みたいなものかも知れない。歳をとってしまったというより、長く生きた分だけ今日まで無事に生きられた事の感謝を伝える日。母が健在で今年もありがとうって言える事が幸せなんだ。
稀に本当に凄い人もいるけど、やはり自分から凄いと言っちゃう人は才能関係なくまず面倒だなぁと思ってしまう(苦笑)自信の強さだけは本当に凄いと思うし見習いたい。でも、遠くの凄い人で居て欲しい。
慣れない携帯で覚えたばかりのメールで必死に打ってくれたのに一番いいところで予測変換の誤字が入ってしまい今では笑い話に。あの時何に悩んでたかも忘れちゃった。楽しい思い出に上書きされた^^
自分の場合も人の場合も不幸話が笑えるのはオチが笑える時だけかな‥と思ってます。あと、本人が今だから笑える話として話してくれた時。