五行志を書いたのはかなり後の時代の南朝梁の劉昭であって張純は一切関わりないんですが、宣帝の功臣・張安世の子孫である張純は、後漢が建国されてから戦乱で途絶えた前漢の祭祀儀礼等あらゆる物を都度招聘され奏上・復活させた…というところから今回の光武帝4コママンガのオチに抜擢してます←
1時間前ぐらいに自宅に到着して、長風呂から上がった所さんです。あぁ^〜ハーブの匂い〜🌿
元町の苺スイーツ堪能以外は神戸やりたいことリストを埋めれました🦝
これでもう暫く…とりあえず今年度は新幹線終わりで自動車で行ける範囲内で大人しくしまするゾ…( ˘ω˘ )🚗=3
改めてお疲れ様でした。
賈復の背中の旗、後漢書の賈復列伝「於是被羽先登,〔一〕所向皆靡… 注:〔一〕被猶負也,析羽為旌旗…」どおり旗を背負った記述から来たもの…
…と思いきや、後漢初の個人武力最強候補だから「最強アピで京劇の豪傑を参考にしよう!」から安易に取ったので、史実通りになったの偶然の産物です。
事例紹介だけでも金言なのですが、『アザナとは、現代でいう「下の名前」くらいのモノではなかろうか。』の言にストンといきました。そこまでキッカリ縛られなくてもいいんだなって。
自分の中でもモヤモヤしてた鄧禹からの劉秀への呼称を諱の「秀」、それでもいいんだって救われた気分っしゅ >RT