コンクラーベは映画『ダヴィンチ・コード』が流行った時に日本に輸入されてきたから、宮下あきら先生は2006年くらいには既にコンクラーベを取り入れているのです。
何がしたいかわかんなくなってる道長
藤原のレールから外れられない息子たち
政争の駒にされる娘たち
とりあえず道長に任せときゃいいやで来てる他の藤原達
平安貴族は「摂関政治」と踊(ダンス)っちまってるな、、、、とつくづく感じた望月の夜
弥助の話、件の研究者やそれを採用したゲーム会社より歴史学素人が批判として挙げた「日本に奴隷いない」話のほうに焦点が行ってて、無能な味方にNOを突きつけるのは結構だけど、同じ熱量で本丸も叩けよ、学問棒で殴る奴選ぶんじゃ無い!て思ってる。おかしな奴は全員殴れヘタレるな。
私「麒麟が来る」の駒ちゃんと足利義昭の関係性が好きだったんだけど、まひろたんと宣孝殿の関係もそれに似てて好きかも。初恋の人と大恋愛の末に結ばれる夢物語とは違う、妥協と打算が交じった関係性、だけどその中で育まれてく切っても切れない絆、それがリアルで人間臭くて好きなの。
韓流ドラマも真っ青なくらいすれ違う2人!!
さようなら青春!!
こんにちは現実!!
俺たちは異なる道を歩む!!!
#光る君へ
愛するが故に確たるもの(正妻の座)が欲しいまひろ、思いはあれど自身の立場では側女の地位しか与えられない道長、、、
現実に即しながら最適解を目指すには双方が妥協するしかないが果たしてそれが出来るのか、、、
聖帝サウザーの言葉が1000年前の平安時代に突き刺さる、、、! #光る君へ
光る君へ見た
「身分なんて気にしない!私は俺は貴方と君と一緒にいたいキャッキャウフフ(๑・̑◡・̑๑)」というキラキラドリームを夢見る2人に現実が、現実が、めっちゃ殴りに来てた。