今になって思い返すと「お熱は何度❓️」を描いていた頃(1990年代前半)に{海野幸=巨乳モノ}と言うイメージが付いてしまった様な気がします💉本人は当時、そんなつもりで描いてませんでしたが…😗
その昔[COMICバズーカ]で連載していた[ウルトラヘヴン]に登場していたキャラ(BL漫画家)ですが、初登場時の顔は左側だったのに、編集長の“意向”で次に登場した時には右側の顔になってました…😅個人的には左側の顔が気に入ってたので、すっごく残念…😢
1996年(平成8年)のスポーツ新聞の風俗欄で、自分の漫画のワンカットが無許可で使われていました😑このカットは懐かしの司書房で描いた女教師モノのエロ漫画の中に出て来るカットです✒️普通の漫画家さんなら自分の漫画を無許可で使われて怒る所なんですが、自分はミーハーなので何だか嬉しかったです😙
現在は、こう言ったノリの漫画を描く機会が無いので少し寂しいです😔自分はネームを考え中にセリフを声に出して、言い回しを確認する作業をするんですが、この頃は自分で考えたセリフで吹き出したりもしてました🤣何とも幸せな時代でした…😚
休刊の話は、たぶん3号目が出た後に編集さん(編集長ではありません)が実家(小田原)の方まで来てくれて、食事をしながら聞かされました😱編集さんの話(あくまでも話です)だと、どうやら編集長が「逃げてしまった」との事でした🏃この「逃げた」のフレーズは強烈だったので、凄く印象に残っています😫
「不謹慎だ」と思う方も中にはいると思ったので、{1995年3月20日当日}の呟きには一緒に載せなかったんですが、当日ワニマガジン社に届けた原稿の作品はコレでした🎾色違いのページだけは最終回のラストページですが、我ながらオチが気に入ってるので、宜しかったら見てやって下さい😙
{性教育}をネタにして、こんな漫画も描いてました✒️昔のエロ漫画の{王道}だった「赤ちゃんは何処から産まれて来るの⁉️」ネタですが、息子との❤️シーンは一切出て来ません👦タイトルの元ネタは、可愛いチワワが出演して当時話題になったアイフルのCMのキャッチコピーの「どうする⁉️アイフル」です🐶
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漫画家にとってのトライアウトは、{編集部に原稿を持ち込んで自分を売り込む事}だと思っていますが、今から20年以上前にワニマガジン社での執筆活動が終わると同時に先の仕事がゼロになってしまった時期があって、その期間に何社かの編集部に持ち込みをした経験があります✒️
この番組を視て勉強して、今から4コマ漫画家デビューでも目指そうかな⁉️ペンネームは{山野 幸}で✒️
ここ数年はコメディー系のエロ漫画を描く機会が無いので、すっかり行き場を失ってしまった{おふざけ柄トーン}の数々…😭写真の中には無いけど、特にレトラセットの「☆」トーンは、海野幸の漫画の{必需品}でした🌟それにしても{足ズッコケ}シーンの多い事多い事…😓
この頃は、エロ漫画なのにエロくもなんともない{くだらない見開き}ばかり描いてました😓一番最後に[見開き]を描いたのって、どの漫画だっけかなぁ⁉️