93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第25回は西陣の羽根モノ、グリーンベレーの話です。昭和61年頃、西陣は羽根モノの始動口にチューリップを付けた台を集中してリリースしました。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第24回は抽選開放の話です。一定の玉数が出た台は打ち止め台や終了台と呼ばれます。これを開放台として札を入れ、希望者に打たせる場合も多いですが、くじ引きで開放する店もありました。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第22回はパチンコマル秘情報の話です。パチンコマル秘情報は昭和61年に季刊雑誌として出発し、ボクが入手したのは昭和61年12月5日発行の新春第3号です。実際に書店に並んだのは11月頃でしょうか。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第20回はフィーバー10スペシャルの話です。昭和59年9月に上京したボクは、翌年の正月をそのまま東京で迎えました。いろいろ動いたおかげでそれなりに可能性を感じていた頃です。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第19回はアラジンの思い出です。アラジンといえばパチスロの方が有名ですが、マルホンの一発台、アラジンは東京と千葉、静岡の一部に設置されていました。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第18回は地震の話です。この回が掲載されたのは1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の後です。当時、関西人が上京するときに心配するものの一つが地震でした。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第17回は東京のパチンコです。昭和59年9月、ボクはマンガ家になるために上京をします。この年に短編でデビューしたものの、マンガ家になれるかどうか分かりませんでした。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第15回は一発台の萌芽です。1980年にフィーバー機が登場する前には、さまざまな役物が登場します。まさしく混沌の中からデジパチは誕生し、同じく羽根モノや権利モノも生まれるのです。
93年頃から数年間、隔月刊のパチンコマル秘情報に連載されたパチンコ道を再アップします。第13回は釘読みの話です。近年では釘調整は違法であるという解釈がなされていますが、もともとパチンコは釘調整を前提とした機械でした。