13~14/14
爆裂4号機時代から打ち始めた人たちには、連チャン性も爆発力もない5号機を打ち続ける理由はありませんでした。スロバブル崩壊は目前に迫っていたのです。 https://t.co/1YmgfOdHYh
5~8/14
これともう一本実戦マンガを描きましたが、それも10万円くらい負けました。3回打って、いずれも10万円前後負けるという展開に死にそうになりました。 https://t.co/spRKN0mV38
5~8/10
ネット上では新装初日の爆死報告が相次ぎましたが、ストックが貯まってくると、それなりの爆発力も見せてくれました。今回の実戦では万枚を達成しています。 https://t.co/tL7DgptrPj
9~12/12
5号機で残った唯一の希望はRTが禁止されなかったことです。これを足掛かりにして、5号機は新たな道を切り拓いてゆくのです。しかし、それにはまだしばらく時間が掛かりました。 https://t.co/ZY4K5XAj3Y
13~14/14
ライバルは山佐のニューパルサーでした。そして、その雌雄は5号機ジャグラーの圧勝で決するのです。変化をしないことが正しかったのかどうかは分かりませんが、変わらないことで北電子が大勝利を収めたことは間違いないでしょう。
9~12/14
突出したスペックではありませんが、設定変更の見抜きやすさや設定判別などもあり、プロが積極的に打った台でした。複雑なモード移行や難解なリーチ目のことを考えなくてよいのでライトユーザー層にも支持を得たのです。
5~8/14
リーチ目マシン全盛期に完全告知機を出し続けた北電子ですが、それが受け入れられたのがジャグラーでした。その後、4号機の大変革機にも変化しなかったのがジャグラーシリーズです。
5~8/12
液晶もなく地味な台でしたが、出目は非常に面白い台でした。この当時の高砂電器の台は裏返ることが多かったのですが、これはノーマルのままだったと思われます。
5~8/12
5号機の規定はニューパルにとって非常に不利なものでした。とくに1フラグ1制御はニューパルのゲーム性の根幹に関わる障害です。さらにチェリーの処理もニューパルのリーチ目を構成するためにクリアしなければならない問題でした。