親ガチャってワード、呪術廻戦の烏鷺と乙骨が浮かぶ。烏鷺は「えらい人のために名すら与えられずに暗殺者やってたら、えらい人に同族殺しの身代わりで処刑された」って最悪の親ガチャひいてんだけど、乙骨が「なにを言っても暴力になる。ぼくは恵まれてるから」とだけ返すのほんと正解なんだよな。
たとえば映像作品には『間』があるから生まれる余韻があるのに、ファスト映画/倍速鑑賞ってラーメンハゲの言葉を借りるならこれなわけでさ。美意識の問題じゃんと言われてしまうと確かにその通りなわけだけど、消費者であっても創作者に想いを馳せることすらなくなれば文化は死ぬとすら思う。