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「…この功名心といふ火の手を利用して、一方の色慾を焼き尽くすことが出来れば甚だ妙た。そこで、情慾が盛んに発動して来た時に、ぢつと気を静めて、英雄豪傑の伝を見る。さうするといつの間にやら、段々功名心は駆られて、専心一意、ほかの事は考へないやうになつてくる。」
#勝海舟
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「かつて白井亨といふ剣術の達人があつておれもたび々々就いて教へを受け大いに裨益した事があつた。この人の剣を使ふやほとんど一種の神通力を具えて居た。その白刃を提げて立つや凛として犯すべからざる神気刀尖より迸りて向などに立つて居られなかつた。」
#勝海舟
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「この人(島田虎之助)は世間なみの撃剣家とは違ふところがあつて、始終、『今時みながやり居る剣術は、かたばかりだ。せつかくの事に、足下は真正の剣術をやりなさい』といつて居た。」
#勝海舟
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「本当に修行したのは、剣術ばかりだ。全体、おれの家が剣術の家筋だから、おれの親父も、骨折つて修行させうと思つて、当時剣術の指南をして居た島田虎之助といふ人に就けた。」
#勝海舟
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「八之丞サマといつて、一ツ橋のあとに直る人だつたが、大層、ワシがお気に入りで、十二までお附きだつた。その頃、隠居をするのは、一年かゝるが、親仁も、私を八之丞サマにつけて、出世させるつもりで願つたが、…」
#勝海舟
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「それゆゑに人は、平生の修行され積んでおけば、事に臨んで決して不覚を取るものでない。剣術の奥意に達した人は、決して人に斬られることがないといふことは、実にその通りだ。おれも昔親父からこの事を聞いて、ひそかに疑つていたが、…」
#勝海舟
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「ワシの家のグルリなどは、みなバクチばかりして居たが、ヲヤジが嫌ひだつたせゐか、ワシは幼い時から、ごくキライだつた。」 #勝海舟
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「昔本所に、きせん院といふ一個の行者があつて、その頃流行した富籤の祈禱がよく当たるといふので、非常な評判であつたが、おれの老父が、それと親しかつたものだから、おれもたび々々行つたことがある。」
#勝海舟
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「(父・勝小吉について)人並外れたところがあり、一度承諾したことは必ず実行し、身体は大きく若い頃から撃剣を好んでいた。」
#勝海舟