(2/4)
「維新の頃には、妻子までもおれには不平だつたヨ。広い天下におれに賛成するものは一人もいなかつたけれども〈中略〉おれは常に世の中には道といふものがあると思つて、楽しんで居た。」
#勝海舟
(3/4)
「高野長英は、有識の士だ。その自殺する一ケ月ばかり前に、横谷宗与、これはおれの知人だが、この宗与の紹介で、夜中におれの家へ尋ねて来て、大いに時事を談論して、さて帰り際になつて、おれにいふには、拙者は只今潜匿の身だから別に進呈すべき物もないけれど、…」
#勝海舟
(2/4)
「佐久間象山は、物識りだつたヨ。学問も博し、見識も多少持つて居たよ。しかし、どうも法螺吹きで困るよ。あんな男を実際の局に当らしたらどうだらうか……。何とも保証は出来ないノー。」
#勝海舟
(2/4)
「おれが子供の時には、非常に貧乏で、或る年の暮などには、どこにも松飾りの用意などして居るのに、おれの家では、餅を搗く銭がなかつた。ところが本所の親属の許から、餅をやるから取りに来い、と言つてよこしたので、おれはそれを貰ひに行つて、…」
#勝海舟
(2/4)
「…懐から二百両の金を出していふには、
『これは僅かだが、書物でも買つてくれ』
といつた。
あまりの事に、おれは返辞もしないで見て居たら、渋田は、
『いやそんなに御遠慮なさるな、こればかりの金はあなたに差し上げなくとも、ぢきにわけもなく消費つてしまうのだから…』」
#勝海舟
(2/4)
「ところがその頃、北海道の商人で渋田利右衛門といふ男もたび々々この店へ来るので、嘉七からおれの談を聞いて、『それは感心なお方だ。自分も書物を大変に好きだが、ともかくも一度会つて見よう』といふので、ついに嘉七の店で会つた。」
#勝海舟
(2/4)
「…この功名心といふ火の手を利用して、一方の色慾を焼き尽くすことが出来れば甚だ妙た。そこで、情慾が盛んに発動して来た時に、ぢつと気を静めて、英雄豪傑の伝を見る。さうするといつの間にやら、段々功名心は駆られて、専心一意、ほかの事は考へないやうになつてくる。」
#勝海舟
(3/4)
「かつて白井亨といふ剣術の達人があつておれもたび々々就いて教へを受け大いに裨益した事があつた。この人の剣を使ふやほとんど一種の神通力を具えて居た。その白刃を提げて立つや凛として犯すべからざる神気刀尖より迸りて向などに立つて居られなかつた。」
#勝海舟
(4/4)
「この人(島田虎之助)は世間なみの撃剣家とは違ふところがあつて、始終、『今時みながやり居る剣術は、かたばかりだ。せつかくの事に、足下は真正の剣術をやりなさい』といつて居た。」
#勝海舟
(4/4)
「本当に修行したのは、剣術ばかりだ。全体、おれの家が剣術の家筋だから、おれの親父も、骨折つて修行させうと思つて、当時剣術の指南をして居た島田虎之助といふ人に就けた。」
#勝海舟