ということは、例えば『第二回水産博覧会出品目録第二冊』明治30年に長崎県の出品者として登場するこの長崎市本籠町の安達八三郎がマジシャンのジャグラー操一なのか!びっくりだわ。#奇術史 https://t.co/wH4tRSenvS
明治41年11月末、12月初の長崎では「二代目一心斎旭玉」を名乗る一座が奇術の興行を行っていた。11月27日付・12月5日付『鎮西日報』#奇術史
大正4年10月1日付『都新聞』、松旭斎「天一」を名乗った女性マジシャンがいたのか…?(この後の紙面では見失った)#奇術史
2月23日付『都新聞』は本公演の細かな演目を列挙している。同姓の「富士川」を名乗る竹子、つや子は富士川一廣の家族親族だろうか。#奇術史
洋装の印象の強い松旭斎天勝だからこそ、振袖姿で登場する演目が珍しく記事もその点に注目したのだろう。明治45年4月12日付『都新聞』#奇術史