時宗「貞には物事を正すという意味がござる、誰の言葉にも惑わされず、物事を正しく見つめる男になって欲しいと・・・」(1枚目2枚目)
7年後ォ・・・(3枚目4枚目)
貞時パパの話、北条時宗より
左から安達っさん、北条時宗(太守)、足利家時
太守ですら直垂姿www水干だっっれもおらへんやないかwww
で、息子が太守継いだ「椿散る」の服装がコレ もしかして文明退化してる?
炎立つの見過ぎのせいか
最近、狩衣とか水干率が高くなってる。 時系列的に直垂率が高かった大河ドラマ「北条時宗」の続編的立ち位置なのにこの多さよ。これじゃあ鎌倉時代末期じゃなくて平安時代末期じゃねーか
あと、世界史的に解釈すると「身辺警護を長崎族の兵士に任せてる北条族族長は安達族長と従兄弟、本来格上の筈の足利族族長が北条族族長の義理の息子分の契りを交わしてる」
あれ? 鎌倉武士ってそこまで野蛮じゃなくね? むしろ理性的??
だって足利族はいわば関東の部族たちので武神と崇められた源氏族長の子孫だから ふつーに考えて関東を北条族が仕切ってる鎌倉時代って世界史感覚で見ると「???」ってなるし、足利族にとっちゃ屈辱以外の何物でもないのよな。よく50年も我慢したよ 足利三郎貞氏 族長よ。
だから ここの場面 英語とかあとポルトガル語で説明すると
「長崎族の兵士を連れている北条族族長が安達族族長、足利族族長と話をしている。北条族と安達族は従兄弟同士 北条族と足利族は義理の親子」ってなるのよなぁ
そう考えると サムライの社会って一種の多民族国家だったんだなぁって
長崎以外は北条宗家当主、安達家当主、足利家当主が揃っている。
インディアンで言うと、各部族の族長たちが集まって話してるようなものか
自分で描いといてアレだけど、長崎円喜さんを投入してから貞時公が元気になってきたような気がする。 自分と年が近い人らと話する機会なんてなかったからかなぁ・・・
椿散る 昨日更新しました 前半
貞時と円喜のほのぼの回です
足利貞氏と長崎円喜の初対面といった太平記の前日譚要素あり 「清和源氏ってなーに?」な日本史の勉強になるかと思います。
https://t.co/EKIuWBT61Y
https://t.co/2O1YfDq8fk
https://t.co/Z7Z6azd4qV
https://t.co/xuKkn9cdty