共産党の言う「社会的合意」のあった時代の最たるもの
(少年チャンピオン・コミックス『ブラック・ジャック創作秘話』17話)
焚書坑儒を経ても儒教は数千年支持され続け
悪書追放運動を経ても手塚治虫は漫画の神様
今回の共産党の主張もまた歴史の1ページに愚行として刻まれる
歴史から学ぶべき https://t.co/ybFkK2IJ63
まったく2週間遅れな感じで気づいたんだが
Karte.81「僕はお邪魔した」の中で
「今日もクールな杏奈ちゃん」は「憧れの看板モデル香田ニコちゃん」に対し単に「緊張している」だけだったのか
街路樹に文字がカブっていてスルーしていた
山田は諏訪さんに市川の話をしている筈で
その反応はおそらく山田にとって思わしいものではない
(両親に市川の印象を聞いていた様子からも推測出来る)
なので「私の誇る市川」を「否定的スタンスの諏訪さん」に提示しようとした
だから敵と対峙する様な表情と立ち姿になっている
知らんけど
連載当初から延々続いた「人あるいは人生としての格差」「格差ゆえの理解放棄」みたいなクソデカ命題を「好意から理解の重要性を知る」事によってようやくクリアへのスタートラインに立てたのがKarte.78
ラブコメとしてはいい意味で無茶の限りを尽くしつつ
100話も見える時期まで本筋が生き続けている https://t.co/k7y4SvnhEs
格差恋愛みたいな触れ込みの漫画だが
「ルックスや身長の格差」は前提としてのハード面の話で
本丸の格差が「自己実現に至り地位も得た輝ける相手」と「能力も対人関係も挫折した自分」だとか重いにも程がある
実際Karte.5やKarte.67(グラビア回)から現時点に至るまで延々引きずってきた足枷だった https://t.co/A6ul9HbGlS
「相手といち人格として向き合い理解しあう事」を
山田は相手の事を好きだと自覚する前から既に志向していたが(Karte.16、パピコ心理テスト)
市川は挫折による劣等感から「山田の事を対等ないち人格として理解する」という発想自体が元から封じられていた https://t.co/NsVh3RiYDu
少し引っかかる表現が二度続いた
「○○してほしい」場合に「○○してもいいよ」となるのは
A:「○○してほしい」という踏み込んだ言い方が出来ない一種の及び腰
B:「自分の心理や領域に踏み込んでくれてもいい」という許諾的なニュアンス
「両方ありつつ」、「Bのみで濁している」・・・ってコト?