これに対するアンサーというか。「地元に帰られると、俺は君の身内じゃないから囲いのファンにはなれないので、ちゃんとジャンプに残ってね」という。
描きたいことが今はなくても別に絶望する必要はなく、8年後とか30年後とかいつかのいつかとかにみつかることもあるから根気よく漫画を描くのを楽しもうぜ、みたいな話だと思っている。 #明後日で25になるからみたいな訳のわからん線を自分で引くなよという
ドラマは見てないけど、原作のチェリオのメロンジュース飲んでる回で「チェリオのメロンジュースでグルメ漫画になるんだな」という衝撃があった。 #誰かが何か食ってるのはコンテンツになる
まあ、折角なので俺も炭治郎努力の雑語りするけど、ここ30年「頑張ってるだけで何の身にもならない(成果が伴わない)根性論のような努力はダメだぜ」って言う考え方が一般的になったところで、「自分が努力してきた、そのこと自体を自分の力に変える」言動をした炭治郎は特殊性があったのかな、とは。
「板垣先生の絵でI字バランス有ったよなあ。なんだっけなあ・・・」とずっと考えてて、さっきようやく思い出した。梶原だ。