神頼みして一時だけすごい能力を授けられても迷惑だなぁ。そんなことより私は思うがまま自由に描きたい。
「表現とは文学的であるべきだ」「表現とは自由きままで楽しくあるべきだ」「売れるものこそが素晴らしい」「哲学や詩的なものこそ」「君の絵はこうすれば売れる」「アートとは」
雑音を遠くに聴きながら
描き続けております。
窓の外に広がる景色や、花火の様に華やかに現れて何処かへ消えてしまう様な行き交う人たちを眺めつつ、思索したり空想したり。
活動初期の頃の作品(1枚目2枚目)と最近の作品(3枚目4枚目)で近いものを並べてみる。描いてる内容自体は全然変わってなくて好みの要素も変わってなくて成長してるんだかしてないんだか……ただ好きな気持ちも変わらない。
ひとつ言うと、私は虫が苦手です。子供の頃も基本的に触れませんでしたし昆虫図鑑も正直苦手でした。でも色んな絵を描いてる内にフォルムの美しさやかっこよさなどに気づいて絵のモチーフとしては好きになり、芋虫なども今は眺める分には平気です。でもやっぱり苦手ですが。
何か褒める時でも自虐する時でも言葉の頭に「クソ」をつけたがる人たちがいるんだけど、それを耳にするとなんとなく寂しい気持ちになってしまう。語彙力ないから!って自分から言う人もいるんだけど、だったら他の言葉を意識して選んでほしい。自分の心に自ら泥を投げつける行為は寂しい。
この2つの絵は描いた時期も全然離れていて(12年ほど離れてる)、でもあとから見たら「あれ?何か繋がってるぞ?」と気付いた時に、自分の中の世界観が自分でも気付かない内に形成されていたんだなと思わされました。