望郷太郎は「死」を恐れるものではなく、辛く苦しい人生から解き放たられる「救い」の側面を描いてるのが良いよね
母や娘のこと、明日の飯のことそれら全てから解放される…
何故なら俺たちはユミルを信じているからだ!→うぉぉぉ
ガビは英雄だ!→うぉぉぉ
数人殺されちまった。そうかクソ…→我々新生エルディア帝国の大勝利だうぉぉぉ
犠牲無くして勝利はない!心臓を捧げよ!→うぉぉぉ
集団心理に弱過ぎる民族…やっぱ劣等民族っすね。エルディ・ア人は
鉄鍋のジャンはジャンと相手がせめぎ合いその結果とんでもない料理を作り上げていくわけだけど、五行が作ったスポンサーの愛犬を屠殺して作ったハクビシンと犬の鍋が生まれたきっかけが作者と監修の料理研究家のおやまけいこ氏との大喧嘩の末ってのがもう面白いよな
まんま作品の試合の結果そのもの
おそらくこれは立ち向かう者、と名付けられたように、あくまで立ち向かう者はスタンドではなく、その人間であり、多くの人間が銃を持ち、決闘も許されていた時代の人間の殺意の高さ、戦う事への覚悟の違いを表してるんじゃないかなと思う
荒木飛呂彦先生のアメリカへの思考の形が読み取れると思う
進撃の巨人は後半で差別の酷さ、差別による争いの苛烈さを延々とこれでもかと書いて、それを解決する為にエレンとジークという被差別人がいて、その2人ともお互いどちらかを滅ぼすという目的を持って差別を解消しようとしたところが本当に救いがない
現代でも差別を解消する為に消すのが一番早い…
ウシジマくんだとこいつが近い
能力もないのに金は欲しい
稼ぎ方もわからないけど楽して儲けたい
フリーエージェント編の刈べーみたいな https://t.co/n6VOSeRWlF