例えば宇宙空母だのタイムマシンだのという「架空の乗り物」をデザインする時、それをゼロから想像するのはとても難しい
そのため多くの場合は何かモチーフを設定しそれを元にデザインするが…
藤子先生のタイムマシンはモチーフが全く分からない
藤子マシンとしか言いようがない
どんな想像力してんだ
なおドラえもんのタイムマシンは空飛ぶ絨毯がモチーフとの情報が寄せられた
真偽はともかくとしても十分に面白いと思う
なのでもし他にも「コレはアレがモチーフなんじゃねの?」というご意見がございましたらドシドシお寄せくださいまし
手塚治虫を読みながら帰りの列車に揺られているが…
やっぱスゲえよなこれは
葉っぱ一枚で「良心の呵責」を表現するなんてできんのかよ
どーなってんだ
忠臣蔵を知らねえってのはまあ仕方ないが
歴史の中で何かが違ってりゃ、現代では忠臣蔵を見ることができなかったかもしれない
もしくはグラップラー内蔵助になっていたかもしれないってのは知っておくといいかもね
漫画というのは言うまでもなく絵であり、平面的なものだ
そのまま描いたのでは奥行きがなく動きのない紙面にしかならない
そのため漫画家たちは様々な構図や技法を駆使して立体感、遠近感、距離感を表現してきたのだが
ドラえもんは不思議なくらい絵が飛び出したり奥まったりする
白黒の絵のはずなのに、目がくらむようなまばゆい光を放つ手塚治虫のきりひと讃歌
白くてまぶしいのはまだ分かるが、なんで黒いのにまぶしいんだよ
日付は変わってしまったが冬至の日には「ん」がふたつつく食べ物が縁起がよいとされる
というわけで
・・・あとひとつ何か浮かべばよかったのに
議論というのはちゃんとやるにはある程度コツがあるし最低限のルールってものがある
ネットでは日々様々な議論が行われているが、相手を言い負かす事が目的だったり一方的に1000文字近くまくしたてるのは議論と言わない
そこで以下に自分が要点としている事をまとめた
まずは相手の話をちゃんと聞こう
いっぽうこちらはツイッタで日々よくお目にする「議論」の場
ネットってのはこんなに議論に向いている場なのに、どうしてこんなに議論に向かない場になってしまったのであろうか