稀男が写っていた写真は存在するのか、存在するならそれを手元に置いた意味とは、存在しないならそれを渡した意味とは…
#このやりとりの後なので俺もいらないには重さが乗っている 
   あの流れを無我が全てメイクしたと考えるのは無理がありそうでよかった(よかった)けども、
「どっちの流れにもない傍流存在を蓋然的要素としてブチ込んでみる」は無我の常套手段なので依然警戒は必要なのよな…。 
   マッド・リープがゼブブから受け継いだ「いのちの極限分割法」には道化の振る舞いが必須、
つまりふざける力が翻訳する「死ぬけど、死なない」ギャグ領域こそいのちの極限分割であった事は読者には周知の事実であるが