大本営や挺進団としては精油所攻略は戦争目的に適っていた為、将兵に精油所施設の特殊教育を行うなど、準備を進めていました。
ですが、実施部隊である挺一が一時海没し、練度にやや不安のある挺二と交代した事や精油所守備隊が予想以上に強力である事が判明してから雲行きが怪しくなり始めました。
片倉衷『インパール作戦秘史』読了
長きに渡る片倉の軍歴の内、緬甸方面軍参謀から飛行師団長、決戦兵団長までを記した一冊です。
豪傑型や智能型参謀の著作によくある『自分以外は皆無能』の構図で、特に中・久野村の扱き下ろしに多くの行を割いています。続
2月14日午前9時、マレー半島カハン飛行場を堂々たる輸送機編隊が発進、陥落直前のシンガポールから上る黒煙を眼下に、一路パレンバンへ向かいます。
編隊を援護するのは加藤隼戦闘隊で勇名を馳せる飛行第六十四戦隊です。
午前11時26分、編隊はパレンバン上空に到達、遂に作戦が開始されました。続
挺進集団の面白い所は、自前の飛行場中隊を2つも持っている事です。
専門性の高い挺進飛行戦隊や滑空飛行戦隊を移動の度に他所の飛行場大隊と連携させる必要が無いので、合理的な編制と言えます。
徳永中尉の特殊教育に関する命令書です。
この教育を受けた者は、
『危険な特殊任務を希望する者』
と聞いて我先にと志願した血気盛んな下士官達でした。
この逸話は横三特将校であった山辺雅男中尉(当時)の著作からの引用ですが、横一特戦闘詳報によると小林兵曹長はこの時、一個分隊を率いていたと記述されています。
ただ、山辺戦史のメナドの項は、この戦闘詳報と作戦従事した横一特新木正一水の記録を元にしているので、確度は高い様に感じます。
陸軍落下傘部隊に関しては、
部隊名や用語の変遷が激しいので表記し辛い事この上ない。
『降下』はある時期から『跳下』と呼称される様になり、『強行著陸』と『強行着陸』は文書によって混在している。
やめて頂きたい🫠
昭和19年に準空挺師団と言うべき第一挺進集團が編制されます。
ただ実情は、集團の半数以上が比島戦線に投入され、残置部隊は関東と九州に分散配置、関連飛行部隊に至っては殆どが朝鮮で再建を図っていました。
その為、落下傘滑空連合の一大空挺作戦を行う機会に恵まれる事はありませんでした。