横山孝雄『少年兵レイテに消ゆ』を入手しました。
オムニバス形式の反戦漫画で、その中に高千穂降下部隊の章があるのですが、よく調べられており大筋は割と正確です。
反戦を謳っていますが、一〇〇式機関短銃が大活躍したり、鹵獲ボフォースで対戦車戦闘するなど結構好き放題な内容となっています。
昭和19年に準空挺師団と言うべき第一挺進集團が編制されます。
ただ実情は、集團の半数以上が比島戦線に投入され、残置部隊は関東と九州に分散配置、関連飛行部隊に至っては殆どが朝鮮で再建を図っていました。
その為、落下傘滑空連合の一大空挺作戦を行う機会に恵まれる事はありませんでした。
陸軍落下傘部隊に関しては、
部隊名や用語の変遷が激しいので表記し辛い事この上ない。
『降下』はある時期から『跳下』と呼称される様になり、『強行著陸』と『強行着陸』は文書によって混在している。
やめて頂きたい🫠
この逸話は横三特将校であった山辺雅男中尉(当時)の著作からの引用ですが、横一特戦闘詳報によると小林兵曹長はこの時、一個分隊を率いていたと記述されています。
ただ、山辺戦史のメナドの項は、この戦闘詳報と作戦従事した横一特新木正一水の記録を元にしているので、確度は高い様に感じます。
徳永中尉の特殊教育に関する命令書です。
この教育を受けた者は、
『危険な特殊任務を希望する者』
と聞いて我先にと志願した血気盛んな下士官達でした。
挺進集団の面白い所は、自前の飛行場中隊を2つも持っている事です。
専門性の高い挺進飛行戦隊や滑空飛行戦隊を移動の度に他所の飛行場大隊と連携させる必要が無いので、合理的な編制と言えます。