「後漢光武帝の對南⋮匈奴策に就て(1932年)」の論文を再度読み返しているのだけど、盧芳が完全に北匈奴の中国への天下支配の尖兵と化していて、盧芳の策略や膨張を防ぐことが匈奴の中国支配の野心を挫き匈奴との争いに勝ったという理解を示されていて、劉秀と攣鞮輿の雌雄駆引は終了していたのだなと 
   多忙のためRTが遅くなりましたが、みなさん漢帝国祭にご参加いただきありがとうございました!丞相・大司徒・相国に係るテーマに沿った作品や、前漢・後漢ではない漢もたくさんあげてくださりありがとうございました!
後日、今年度の総括マンガを掲載します〜!
#春の漢帝国祭2024 
   鄧禹曰く、春の漢帝国祭、ご参加ありがとうございます!今現在の集計です〜
さすが蕭何・曹参を擁する高祖・劉邦の時代だなぁとの率直な感想・・・
他の時代(特に宣帝期)も含め、引き続きドシドシご参加ください〜!
(そして意外と献帝を立てた某相国が未だ0なのも意外←)
 #春の漢帝国祭2024 
   RT> 今日は志賀島で後漢の光武帝から漢倭奴国王へ1967年前に下賜された金印が黒田家の藩内(福岡)で見つかって240周年です!!!(新暦)
金印真贋論争で真説に大きく傾けた、劉秀の息子の劉荊(瓜二つの姿だったという)の金印についてのあれこれです #春の漢帝国祭2024 
   漢帝国の宰相の流れは、丞相→相国(蕭何・曹参)→丞相→(宰相権三分化)大司徒→司徒→相国(董卓)→丞相(曹操・曹丕)…ですが、
後漢の光武帝の建武年間が、「大司徒」→「司徒」の時期です。(職権無変)
これを献策したのは光武帝 劉秀の幼馴染・朱祜で、皇帝権強化に繋がりました。
 #春の漢帝国祭2024 
   今日は3月29日、光武帝 劉秀の崩御日です。西暦57年から数えて、1967周年になります。
よく光武帝とセットで話される、倭国への金印の授与は劉秀の最期の公務でした。