蓋已旋踵而將敗,豈豪傑之能得?盡市井之無賴。
嘉祐五年(1060年)1~2月の間に蘇軾が昆陽を訪れ,故事に感慨し誦んだ賦。主題は、漢の光武帝・劉秀が昆陽で王莽百万大軍を破った事蹟。歴史記述が多い事が特徴で原典を知らねば理解が難。一方で、普遍的な時の流れの無情を説く《蘇軾文集及び作品解説》
事例紹介だけでも金言なのですが、『アザナとは、現代でいう「下の名前」くらいのモノではなかろうか。』の言にストンといきました。そこまでキッカリ縛られなくてもいいんだなって。
自分の中でもモヤモヤしてた鄧禹からの劉秀への呼称を諱の「秀」、それでもいいんだって救われた気分っしゅ >RT
でも結局魅力的な人物ってなると劉縯に集約される(劉縯が殺されるまでは正直劉縯が歴史の主役で動く節があって劉縯列伝読む方が事績や時代の流れが光武帝の本紀読むよりまとまっててスッキリ頭に入るまである)